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  • 2016.05.06 Friday
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一定期間更新がないため広告を表示しています


雑感等

 遅くなってしまいましたが、コメントありがとうございます。該当記事のコメント欄で返信を致しました。気付くのが遅くなって申し訳ありません。

 日本の自殺の思想的背景、というテーマでレポートを書いて居るのですが、こうして日本史を俯瞰してみますと、現代の、自殺を悪しきものと考える風潮にやや疑念が湧きますね。
 もちろん自殺を肯定したいなんて意味ではないのですが(物語内ではじゃんじゃん肯定したい所存ではある)、自殺を否定したからといって軽んじて良い訳では無いだろうな……と思うので。
 こんな事で死んでしまって、的な反応って一体何者なんだろうというか、自殺者本人にとってはそれだけの大きな事だったんだよその出来事は!という個体としての真実はまるっきり淘汰されてしまうんだと思うと、何やらとても悲しい。
 嗚呼何書きたいんだか分からなくなって参りました……。

 物語内自殺って実際は余りお目に掛かりませんね、スメルジャコフ位なものかしら。CLAMP作品とかを考えても迦羅位しか思い当たらない。あ、乾闥婆王や孔雀も居ますか。そういう意味で聖伝ってやっぱり異色というか、CLAMPの方向性がまだ定まってない感じの作品ですね。エメロード姫とかもカウントして良いのかしら……。
 聖伝を通読したんです久しぶりに。聖伝は見事な作品ではあるんですが、矢張りデビュー作だなというか、作者の成長著しすぎて最初と最後とではテンションも違えば綿密さも違って居て、つまり夜叉王が阿修羅を目覚めさせた場面とか、よくよく考えると「いや夜叉王短慮すぎ」って突っ込みたいんですよ申し訳ないけど。後出し設定も多いですし(夜叉王が阿修羅王と面識あったりとか)。だけど、それを後半のダイナミックなシーンやセリフの説得力や、絵の美しさがカバーして居て。
 あーもう何を言いたいんだっけ。そうだ、聖伝と、例えばHolicを比べると、CLAMPは随分道徳的なものを描くようになったなあという話です。
 先程もちょろりと書きましたが、聖伝ってまず犠牲者人数凄い多い。勿論それは阿修羅の設定上わざとそうしたという部分もありますが。それから自殺者も多い。これは以後のCLAMP作品で余り見かけない設定ですよね。エメロード姫や牙暁、或いは昴流とか星史郎とか……兎に角「死にたい」という思いや「自殺」という行為は、半ば切り札的なものとなって居る気がします。でも聖伝ではばんばん死ぬんだな。
 聖伝では、夜叉王と阿修羅が二人でずっと一緒に生きる、という或る意味で後のCLAMP作品用語で言う処の「願い」を叶える為だけに、また或いは「運命」を変える為に、あれ程の犠牲が必要だったんですよ。でもHolicでは、人は死なない(侑子さん以外)。誰も不幸にはならない。誰かの命や幸せを踏み台にして、願いを叶えたりしない。極めつけは、「『誰か』の為に傷ついても良いと思う事は、最終的にはその『誰か』をとても傷つける事になる」という考え方が提示される。この考え方は聖伝には無いですよね。ていうかXでこれが出て来るのか、私は凄い楽しみなんですけれども。
 神威は、封真を傷つける事になっても封真を取り戻す、って言ってるんですよ。そして昴流は、誰もが幸せになる道なんて無いんだ、と言って居て。誰かを傷つければ何かが解決する、という段階に、二人はまだ居る。でも四月一日は其処を通過しちゃって、ただ待ち続けてる。
 四月一日が待つ理由は、多分、「待って居れば侑子さんが帰って来るから」ではないんです。帰って来ないのだけれど待って居るのだろうと思う。というか、本当に帰って来るかどうかは正直どうでも良くて、「いつか侑子さんは帰って来るから」と信じ続ける事に意味があるのだろうと。其処で、死なないでほしいと時間を止めたり、世界の構造を変えようとしたクロウや飛王は、或る意味で「信じ」られなかった人達なんだと思います四月一日にとって。
 夜叉王も全く同じで、阿修羅はいつか目覚めるから、その時まで待ち続ける事を選びます。けれど孔雀は阿修羅を目覚めさせる為に死ぬ。そしてその事は、阿修羅を非常に悲しませる。けれど聖伝内世界では、これをもって良しとするというか、尊い犠牲だよね、という考え方をする。夜叉王の愛情の深さは評価されるけれど、行動した孔雀も評価される、という感じでしょうか。でもこれがHolicへ行くと、行動すると叩かれるんですよね。この違いが面白いなあと。
 大切な人を待つというシーンが描かれるCLAMP作品は多くて、Holicの他にもレイアースやさくら、ちょびっツ、Wish、こばと、偏見を含めて良いならXでの昴流と星史郎は互いに互いを待ってますね。まあ多分他にももっとありますが……。
 CLAMP作品世界では、この時会いに行くのではなく、只管待つ、相手を信じ続けるというのがベストな選択肢なんですよね。それが凄く興味深い。推測ですが、CLOVERの和彦も若干そういう処がある様な気がします。織葉の事をずっと待って居るというか。そういう意味で、彼とスウは似た者同士というか、「同じ人」の部分があると言える。こばとの藤本といおりょぎさんもそうだなあと。
 あああGATE7も待つ話でした。はなちゃんは誰かが来るのを待ってるんですよね。あ−気になる。
 CLAMP作品は「テーマ」という同じ地下水脈で繋がっているものが殆どです。例えばそれは「好き」や「願い」、「運命」であるのですが、同時に「待つ」物語でもある場合が多いと思う。全く該当しない話は思い浮かびません。あ、BABYLONか(笑)けれどその「待つ」というのは、他三つのテーマと違って、評価が変化して居るなあと。聖伝では余り評価されないんですよ(笑)夜叉王の愛情の程を示すだけの行為であって、物語を動かす行為ではないんですね。それは孔雀のキャラの作り方が余りに阿修羅に偏って居るからかな、とも思いますが。

 考えずにつらつら最近思った事を書いてみましたが、特に結論は御座いません。ブログって本来そういう風に使うもんだもんね、多分。

CLAMP作品世界の魔力について大雑把に。

考察対象はカードキャプターさくら、ツバサ、xxxHolicです(ツバサだけタイトル省略はご容赦下さい)。
短いのの詰め合わせです。
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続くよ続くよ

CLOVERの展開をまとめてみました。
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まだまだ続きます

同じような事を同じような調子で連投する輩で申し訳ない。いえホント。
昴流さんどうして右目を失いたかったんですか?という事を真面目に考えてみました。
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CLAMP作品の事を

CLAMP作品の事を、一度きっちり書いておきたいと思った。
つまり私がどういうスタンスで考察とかやってるのか…とか、どうして二次創作じゃないの…とか。
誰得内容ですが、宣誓文みたいな気持ちで載せてます。
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BABYLONからXへの移行の意味って?

 はいはいこんにちは。絶賛受験生のほしなみです。
 Twitterでぎゃいぎゃい呟いてたら(呟いてたというより叫んでた)、良い感じに考えがまとまりましたので少し。
 
 
 テーマとしては、昴流と星史郎の二人の物語を、東京BABYLON(以下BABYLON)から態々Xに、脇役のエピソードとして移したのはどうしてだろう?という事です。
 
 勿論色んな理由が考えられます。大きなスケールの中での一エピソードにしたかったとか、社会病理的な描き方から能力者ガチンコバトルにしたかったとか、大川さんがハイパーリンク好きとか。でもそういう事では無くて、もっとキャラを軸に考えてみたいと思います。

 BABYLONからXへと二人の物語の位相が変わった。これに伴って最も変化した事は、矢張り彼らに恒常的に関わるキャラの人数が大幅に増えた事でしょう。BABYLONでは二人に常に関わっているキャラは北都しか居らず、しかも最後には死んでしまう。BABYLONは基本的に一話完結型の体裁を取って居る為に、主要メンバーは非常に少なかったと言えます。ですがXに移り、それぞれ違う陣営に属する事で、単純計算ですが、昴流と星史郎にそれぞれ六人ずつ、恒常的に関わるキャラが出来たという事になります(まぁ地の龍ってそういう感じじゃないですけどね笑)。特に二人と『神威』の関係は非常に密接で、『神威』達が過去の二人を連想させる事もありますし、それを昴流や地の龍の神威は意識していると思われる描写もあります(17巻のラスト)。

 テーマの話に戻りますが、物語の舞台を移し替えたという事は、BABYLON連載終了時と比べて、何かしら変化した二人が出て来るという事、もう少し進めて言うと、変化する(した)二人を描く準備として舞台を移したという事なのではないでしょうか。
 だとするならばテーマは次の様に置換可能です。「昴流と星史郎に、『神威』はどういった影響を与えたのか?」。

 影響の明らかな方から書こうと思います。地の龍の神威は、星史郎の想像して居る昴流の願いは間違いである、という事を彼に面と向かって指摘しました。また昴流を失明させて、敢えて星史郎に喧嘩を売った(という言い方が正しいのかは分かりませんが)のも彼です。以前の考察に書きましたが、星史郎の中で昴流を傷つけて良いのは自分だけなんですね。だから地の龍の神威は喧嘩を売ったに等しいのかなと。
 また、昴流に対しては、彼は星史郎の目を手渡します。それは星史郎の願いを叶える為でもあり、またこれも、昴流の星史郎に対する勘違い、星史郎にとって自分はどうでも良い存在、物と同じにしか感じられない存在なのだ、という勘違いを解く役割を担って居たと思われます(17巻ラストで昴流が「あの人は…」と言うシーン)。
 まとめると、地の龍の神威は、二人の互いへの勘違いや思い違いを解くという役割と果たし、尚且つ二人の本当に思う処の願いが叶う様に仕向ける、もしくは叶える役割を果たしたと言えそうです。勿論それが良い事なのかというと相当微妙ではありますが。

 次に考えたいのは天の龍の神威が及ぼした影響です。天の龍の神威は星史郎と殆ど接点が無く、影響を与えた相手はこの場合昴流に対してだけかな、と思うので、それに絞って話をしますね。
 9巻での二人の『神威』の訣別の際、キーパーソンとなったのが昴流と牙暁です。昴流は天の龍の中で唯一、神威の心の中に分け入ったのだし、また神威の真意や、それに伴う決意を最も良く知って居ると思われます。
 どういう風に考えていくか色々悩みましたが、とりあえず16巻で天の龍の下を去る直前に、昴流が神威に言った言葉、「君は君の望みを叶えることだけ考えればいいんだ」、「誰もが幸せになる道なんてないんだよ」を考えてみたいと思います。
 さて「誰もが」という言葉の中には誰が含まれているのか。この言葉の発せられた状況を鑑みるに、昴流が神威に言いたい事というのは恐らく、「他人(昴流)の望みにかかずらってないで、もっとわがままに自分(神威)の望みを追いかけろ」という事なのだろうと思います。どうして神威にそんな事を言うのかは簡単で、単純に神威の望みが成就して欲しいと思ってるからですよね。とするなら、昴流は神威にどうなって欲しいのか。「誰もが幸せになる道なんてない」という事は、つまり自分(昴流)は不幸になっても良いのだけれど、神威には幸せになって欲しい、という事なのではないでしょうか。「誰もが」というのは(狭く言えば)昴流と天の龍の神威の事なのでは無いかと。
 14巻の最初の方で天の龍の神威が昴流に言って居る通り、神威は天の龍(若しくは神威にとって大切な人たち)が傷つくのは自分の望み・願いの所為だと思って居ます。そしてそれでも、望みを諦められない。ずっとそのスタンスは揺らがずに、寧ろ強まる形で来たのですが、16巻でそれが大きく揺らいだのではないかと思います。昴流が最も大切に思う人が、自分(天の龍の神威)の所為で死んだ、そしてその事で昴流を決定的に不幸にした、と。
 そう思うと、昴流の発言は当然の言葉の様ですが、神威のそういった心境を踏まえた上での発言だとするならば、神威に幸せになってもらいたい、とこの状況で言えるのはちょっと凄いなと思います。
 昴流が天の龍の神威を其処まで気に掛ける理由は何なのでしょうか。物語を遡る形で論を展開して申し訳ないのですが。
 もう少し平たく考えるなら、昴流は只何も言わずに天の龍の下を離れても良かった。神威に何も告げずに、そのまま金沢(星史郎の生家)へ行っても全くおかしくないと思います。星史郎の過去や思い出の残像を追いたい気持ちで金沢へ行ったのでしょうけれど、昴流の一連の思いや行動の最中に、神威への言葉は挟まれる必要なんて無いのです。けれど昴流は神威を突き放す様な言葉を残して去ってゆく。そして17巻で生き続けなくてはならない理由が出来て、18巻では「やりたいことは無い」と言いながらも天の龍の神威を案じて居ます。コミックス未収録分では、天の龍の神威に本当の願いに気付け、と決戦の最中に言って居る。
 また昴流は地の龍の神威に対して、「それなら…君の願いは?」と訊いて居ます(18巻)。昴流は16巻き以後、何処までも『神威』の願いを掬い上げようとする。それは天の龍の神威の「幸せ」を願うからであり、その「幸せ」の為には封真や、地の龍の神威が密接に関係して居るからなのでしょう。守るべきものの無い世界で、彼が未だに一つ心残りが在るのだとしたら、それは天の龍の神威なのだ、と言う事が出来そうです。
 BABYLON作中で、北都は昴流に関して「昴流は何でも自分の事の様に感じる」という様な事を言って居たかと思います。それはBABYLONの物語構成で言えば、一話一話の登場人物に過度に感情移入するという事でしょうし、Xでは寧ろ地の龍の神威に対して(18巻辺りで)昴流が抱いている感情が、それに近いものなのだろうと思います。でも、天の龍の神威は違うと私は思う。9巻で天の龍の神威の意識下に入った昴流は、まず小鳥を目の前で殺された情景に大変衝撃を受けて居ますし、また神威に対しても「けれど僕の痛みと君の痛みは同じじゃない」と言って居ます。昴流にとって、天の龍の神威は、何か憐憫や共感以上のものを持つ相手だと考えられないでしょうか。
 或いはこういう言い方も出来るかもしれません。14巻で昴流は神威に、「幸せは人それぞれだよ、たとえ…それを他人が不幸だと感じても」と言って居ます。そして16巻でも前述の通り、神威の「俺の望みが誰かにとって不幸なことでもか」(これを先程「神威自身の望みの所為で昴流が不幸になっても良いのか」という意味だと解釈しました)という言葉に対して「誰もが幸せになる道なんてないんだよ」と答えて居ます。昴流の、少なくとも14巻以降の考えは、「自分は不幸になっても良い」又は「幸せよりも大切なものがある」という事なのかもしれない。17巻末からは明らかに、「幸せ」よりも大切なものが出来たと考えられます(星史郎の望みを叶え、また叶えたままにする事)。「幸せ」というものを神威に譲れる(神威の「幸せ」の為に自分の「幸せ」を犠牲に出来る)位に、彼は別のものを求めているのではないでしょうか。
 総合すると、昴流はまず天の龍の神威の望みが叶う事を願って居て、その為になら自分の望み・願いが潰えても仕方が無いと考えて居る節がある(その為になら、というよりも、神威の願いの方が優先されて然るべきだ、という様なニュアンスでしょうか)。突き詰めた言い方をして良いのなら、自分の幸せと神威の幸せを天秤に懸けた場合、神威の幸せの方が断然重たいと感じて居るのではないか。自分は不幸になっても良いから(そして17巻以降は「幸せ」よりも大切なものが出来るという事なのだろうと思いますし)、神威には幸せになってもらいたい、そういう風に感じて居るのではないでしょうか。

 『神威』が二人にどういった影響を与えたのか。まとめると、地の龍の神威は、止まって居た二人の物語を進めるという役割を果たし、天の龍の神威は、昴流に対して、共感以上の思いを齎した。或る意味で星史郎の死後、昴流を生かす最後の砦的な役割を果たしているのだと思います。
 余り夢の無い平坦な考察になってしまいましたが、とりあえずこんなところでしょうか。昴流の結界に関しては、また今度。

ツバサを

 『ツバサ RESERVoir CHRoNiCLE』を精読しました。いつもストーリーを追い駆けることばかりにかまけていたので、付箋を貼りつつ巻を前後させながら読んでみました…。
で、私の読みが荒かったせいで分からずに居た謎も多くはすっきり解決しました…が。
 まだまだありますよ謎が!そして考察したい事が!
 という訳で羅列して、それぞれ自分なりに今考えた事をまとめてみようかと思います。


*『カードキャプターさくら』の桜と思しき人物が、本作の写身のサクラに杖を渡した理由
 まず、一番簡単な線を行ってしまえば侑子に対価として渡す必要があったから、という答えがあり得ます。但し写身のサクラが、星の杖を対価にする「未来」を以前から知って居たかと考えた場合、恐らく否だろうと。
 次に考えられるのは、「星の力」を譲る為。物語のラストでは写身のサクラは自分自身の魔法陣を使って居ます。そしてそれは『カードキャプターさくら』の桜と同じものでもあります。
 他のキャラクター達の魔法陣は皆、「自分自身で作り上げた」か「誰かから譲り受けた」ものです。だとしたら、魔力はあるけれど魔法を使えない(使った事の無い)サクラに、桜が魔法の使用権利(的なもの)を譲ったと考えるのはどうでしょうか。
 但しこれにも限界があり、つまり杖を譲渡した後に魔法陣の発動を私達は見る訳でして、そこらへんがどういう仕組みなのかが良く分かりません。
 また「これはあなたの大切なものでしょう」という台詞の意味も、はっきりしないのです。


*そもそも小狼は誰の子供?
 本当の小狼は写身の小狼の子供です。そして写身の小狼が本当の意味で生を享けた時、彼は「李家」という「クロウ・リードの血筋の家」に生まれました(『カードキャプターさくら』だと「李家」はクロウの母方の家という事になっていますので、恐らくそれに準ずる様な設定でしょう)。けれどこれは閉じられた輪の中の世界での話であり、本当にそもそもの最初としての小狼は、誰の息子だったのか…と。
 しかしこれは矢張り問題提起とは成り得ないのかもしれません。というのも、閉じられた世界は「本当の時間の流れ」と無関係ではなく、寧ろ補完関係にあったからです。最後に本当の小狼が「独り」の存在となるのも、彼が真の意味で、自分の写身の両親から生まれた事を意味していたのでしょう。閉じられた世界とそうでない世界が共存するという事は、「本来の時間の流れから、同じ輪が生まれ続ける」という事です。本流の或る刻から、本流の「過去」に当たる刻まで、丁度バイパスの様に逆行する支流が生まれ、本流と支流とが輪を描く――そういう構造になっていた「歪んだ時間の流れ」を改め、支流を切り捨てたのだとするならば、支流で生まれた本当の小狼が「独り」となるのは納得できる話です。


*カイル・ロンダートや写身の小狼が単独で羽根を集めていた意味は?
 これは原作での言及が圧倒的にに欠け、少々「想像」本位で考えざるを得ない問題です。
 カイルに関して言うならば、本当のサクラが本来持っていた魔力を始めとする能力が、彼女の下に戻らない様に操作していた可能性が考えられます。サクラの魔力や、夢見の力といったものは、「予見」に繋がり、飛王の読んだ道筋を変える可能性があるからです。但しこれも余り説得力のある仮説ではありません。ジェイド国やピッフル・ワールドでの羽根が、彼女に(東京やインフィニティでの様な)劇的な変化を与えたとは考えられないからです。
 写身の小狼に関してはもう少し話は簡単かと思います。彼は「サクラの羽根を集める事を何より優先させる」存在です。とするならば、飛王の望まない「危険な世界」での羽根集めの役割を彼が担っていたと考えられます。或いは(その様な事をする意味があるのかは分かりませんが)東京でそうした様に、サクラの羽根を残すという選択を防ごうとした、という事もあるかもしれません。


*ファイが本当の小狼を殺す筈だったという「未来」とは?
 うーん分からないなぁ。これに関してはお手上げです。つまり本当の小狼も、魔力がこれから上がる筈だ、という目算が飛王にあったという事なのですが。但し発想を転換して、ファイの魔力が大幅に減る機会について考えたいと思います。
 ヒントになる事があるとすれば、ファイの二つ目の呪いに関してです。飛王の二つ目の呪いの狙いとして、「サクラの伴を本当の小狼だけに限定しようとした」事があると思います。とするならば、飛王の目算通りに事が運ぶのならば(勿論どちらかの呪いがもう一つの呪いの保険という可能性も高いのですが)、二つ目の呪いの直前にファイが小狼を殺し、アシュラ王がファイ以外の者に殺され、二つ目の呪いが発動し、サクラは一人となり、(飛王が序盤で失敗したというサクラが躯を明け渡すのを拒まない様にする術が成功していたなら)その時点でサクラの躯は飛王のものです。ファイが小狼の魔力を下回る事がどうしてあり得るかと言えば、それはアシュラ王と戦って魔力を沢山使うだろうから、と言ったところでしょうか。飛王がファイの左右の目に宿る魔力の違いを知って居た事は十分考えられます(恐らく侑子も知っていました)。どうも説得力に欠けますが、これが一番有り得るのではないかなぁ。
 但し侑子がファイの二つ目の呪いに言及した際に、「サクラの伴は一人で十分だった」と発言しているところから見ると、必ずしも飛王の思惑が上記の様だったとは思えません。



 ざっとこんなところでしょうか。かなり長くなりそうだったので割愛し、今後じっくり考えたい問題としては
*そもそもクロウ・リードというキャラクターは、作品を跨ぐ同一キャラクターなのか?
*CLAMP作品内での「月の力」というのは、何か特別な存在意義を持つものなのか?(他CLAMP世界での「魔力」と「〜の力」の関係性等を含め)
*「真名」とは何なのか?有る国と無い国(有る世界と無い世界?)があるのはどうしてなのか?またそれと魔法の存在有無は関係があるか?
 といった感じです。うーん難しい。

貸す際の順番

最近CLAMP作品の事ばっかりわーわー言ってますがさらっと流してあげてください。
貸す時に、どういう順番で貸すと一番相手に、読みたくなくなる様なショックを与えず、CLAMPワールドへと引きずり込めるかというのを考えたんだけど。
というかそういう事考える程度には嵌る人が少ないんだけど(まあそれはある意味でしょうがないのだが)。

まず『さくら』から貸すのは鉄板だろうと思う。但しこれは読んでる場合が多いから、その次からが問題よね。
とりあえずギャグ作品と小品は抜かす方向で。
一応考えたのは、さくら→エンジェリックレイヤー→ちょびっツ→CLOVER→レイアース→聖伝→BABYLON→X→Wish→すき、だからすき→合法ドラッグ(ドラッグ&ドロップ)→こばと→xxxHolic→ツバサ→GATE7 の順番。何か抜けがある気もするが。登って下り、最後に総まとめみたいな感じのメソッドになってます。
『GATE7』が毛色新しい感じかと思われつつも、物凄いX臭なので警戒中(語弊)です。あれはどういう風に転ぶんだろうなぁ。今までになく「王道」で「デカめの作品」で「安全(そう)」っていう…。どこで引っ繰り返るのやら
真ん中に未完の作品集中しちゃってて、そこが問題点だなーとは思うけど!

ちょっとメモがてら

ツバサをぐるーっと後半(東京編あたりから)読んだのですが(え)、やっぱり後半は怒涛の伏線回収ラッシュで凄い分かりにくいよね。しかもセリフ一つで回収が終わっちゃったりして、何となく読んでるとかなり分からない。
ので、何かとりあえず自分で疑問に思った事を書きだしてみました。殆どメモです。ネタバレ注意とかいうレベルではない
いつかコミケでツバサの私家版ガイドブックみたいなのを出したいなぁとぼんやり思ってる訳ですけど。こんなに疑問点多いというのは私まだまだですわいなぁ




*疑問点
・木之本桜(と思われる人)が写し身のサクラに杖を渡した時「これはあなたの大切なものでしょう」と言ったのは何故?(その杖を対価にする事で、嘗て、そして未来で『サクラ』を生かす事になるから?とも思うが、その事を写し身のサクラは知らないと思う)大切だけど誰かに渡しても良いと思えるものなら、どうしてわざわざ夢の中で受け渡しするんだろうか…。木之本桜としては「この杖を自分より必要としている人がいる」と思ってサクラに渡したのかなとは思うんだけど。ただその「大切」の意味が曖昧。

・飛王は結局クロウの想念の残像として捉えて良いと思うが、それはいつから?侑子の死の間際に、クロウが「もう一度」と願った時に、願いが強すぎて生まれた存在という事?つまりクロウはその願いを否定したけれど、飛王はその願い故に存在してるから、そこから確執が始まって…みたいな感じでしょうかね?

・本物の『サクラ』と『小狼』の両親である写し身のサクラと小狼は、サクラの夢で未来を知り、あの分かたれた孤独な空間で「待つ」という対価を支払った訳だが、その未来は『サクラ』と『小狼』が別れて再び出会えないという未来だったと思う。その未来はつまり飛王が土壇場で画策した、「魔女が生きる道筋がある時限」を探す為にもう一度やり直そうとする未来?その飛王の画策が上手くいくとすると、あの分かたれた空間に二人が閉じ込められて、『サクラ』は時空を超える力を使わされてどっかいっちゃう感じなのかなぁ(つまりオープニングであり、写し身の二人が夢で知った未来の事なんだけど)?

・どうして写し身のサクラは、人として生まれて小狼と一緒になって以来(多分そこからだとは思うんだけど)星の力の魔法が使える?もしかして木之本桜が杖を渡したのは、魔力を渡したという事?(多分違う。何故なら、その杖を対価にするから)

・あと結局クロウはカドキャプに出てきたクロウと同一人物なのかな?一コマだけ、『小狼』が時間を巻き戻して歪めてしまった玖楼国の王(サクラの父)の空席を埋める為に、元の世界の者と別れを告げるシーンでケロちゃんと月が見える訳だが…。基本的にはそれで矛盾点無いのだが、そうするとカドキャプの中のエリオルと藤隆の存在は何なのか、それに「残った魔力を小狼に渡す」としてるその「魔力」は(カドキャプでは)エリオルに受け継がれた筈なので、そこが矛盾点。但し、藤隆に渡す筈だった魔力を自分が保持したままにした→エリオルは自分で魔力を強めて、やっぱり物凄い魔力の持ち主になった→それを藤隆に与えた という事かもしれない。あとエリオルと藤隆は「クロウの生まれ変わり」であって本人ではない。またエリオルは「記憶を継いでる」だけであって、本人との関係性は無い、と考えても良い。

・真名というのはどの世界にもあるものでは無いと思うけれど、少なくとも玖楼国や『小狼』の生まれた世界や、日本国にはある(月読と知世のどちらが真名かは良く分からないけど)。そのシステムはどういう風になってる?恐らく「通常使っている名前をそのまま真名と解釈する」世界(四月一日の居る世界とかは確かそんな感じ)と、そうではなくて「真名を秘する」世界とがある…のだと思う。で、これは「その世界に魔法と言うものが一般レベルであるか無いか」に関わってくるのでは?と妄想。

・ちゃんと読み込んでないけど、「本当はファイは小狼を殺すはずだった」という話。飛王はその「将来殺される小狼」の条件に関して「クロウの力を取り戻したら、ファイの魔力を凌いで殺される」と言っていたけど、それを飛王が知ってたら「何故お前がクロウの魔法を使えるのか」っていう最終巻での動揺に繋がらなくない?それとも「『小狼』は使えるだろうが、まさか写し身の小狼が継ぐとは思ってなかった」的な?

・侑子の死から始まったこの攻防だけど、本当の一番最初には、『小狼』の親は誰だったの?という事がこの話を分かりにくくしてるかもしれない。で、誰だったの?まさか最初から写し身が居た訳じゃないだろうから…と思うと、クロウだったりしないかなとか訳の分からん事を考えるけど違うよね(でもそうすると後述の星史郎の「お父上に〜」という発言の辻褄が合う)。それとも写し身の二人と同格の存在なのかなぁ。それが本当に人として居たのが「巻き戻しで歪む前の本来の世界」の姿で、巻き戻しによって二人の存在が弾かれて、それを写し身の二人が埋めたのかな?

・巻き戻し後に成長して、遺跡で最初に異変を起こした『サクラ』を、飛王は写したという事であってると思うが、その元の『サクラ』の躰は消滅(侑子さんのお預かりに実際はなった訳だけど)して、じゃあ魂はどうなったの?その魂と「切り取られた時間の中での『サクラ』」の身心が合致したって事かな?とも思うんだけど、魂二個の計算になっちゃって良く分からない。それとも「切り取られた時間の中での『サクラ』」は躰だけというカウントなのかな?違うよね。ファイが「二人ともあんなに大きな力を持ってたのに、それがさらに一つになって」みたいな事を言ってたから、「躰+魂」×2だと思うんだけど。あ、つまり「写し身のサクラの躰」+「巻き戻し後の本物の『サクラ』の魂」と「巻き戻し以前(切り取られた時間)の『サクラ』の躰と魂」って事か(自己完結)。

・知世姫が黒鋼に施した「印」の意味が良く分からない…。飛王が黒鋼を操るのを阻もうとして付けたものだろうとは思うんだけど。つまり人を殺す事で黒鋼の身に何かが発動する仕掛けが潜んでた?のか?「強さを減らす」事を対価に、その仕掛けの発動を阻むのが「印」だった?(読み込めよ…)



*疑問以外に
・神威が血の提供を最初断るシーンがある。その時に「あの男みたいになっては困る」的な事を言っていて、それが文脈的に明らかに星史郎を指すので星史郎は恐らく吸血鬼。しかも昴流の血によってそうなった。

・結局アシュラ王って…何。ファイ(ユゥイ)を迎えに来たのはどうして?多分ユゥイにかけられた呪いを知り、それを利用する目的(或いは助ける目的)で迎えに来たのだとは思う(自分を殺してもらう為に)。彼は夢見だった訳だから、ユゥイの事情もそういうところから知ってたのかもしれないし。だが思うのはそもそも何故狂った?そういった事が「辻褄の合わない事」=「理が崩れてきている証」と捉えて良いのかねぇ。疑問というほどでもないのだけど、消化不良。その消化不良が理の崩れと捉えて良いのか自信が無い。

・星史郎が『小狼』に日本国でのガチンコバトル前に「お父上にそっくりだ」みたいな事を言ってるけど、おい、星史郎全部知ってるだろてめぇ

・サクラの記憶の中で、幼い頃の小狼(サクラはその記憶の中に居る人物が小狼とは分からない訳だけど)にクロウが「そんなところも血筋なのかな」と言うが、それ『小狼』に似てるって意味で良いんですかね?小狼が『小狼』に似てるって言うと、親子関係逆転してません?と思うんだけど。それとも「血筋」は別の意味なのかなあ。つまり「クロウの末裔はクロウ(自分自身)に似てる」という意味で、自戒を込めてというか。

クロウカードについて考察してみる。

 宿題やれよ。こんにちは受験生ほしなみです。勉強は?いいえケフィアです(※違います)
 クロウカードについてぼちぼち考察したいです。久しぶりにアニメさくらを見て(クロウカード編劇場版VHSを棚からひっぱり出してきてね…)、少し考える事が出てきたなーと思ったので。
 今回の考察は珍しくアニメ準拠(クロウカード52枚として考える)。あのアニメは基本的に「翔」のカード捕獲以外何も文句など無い…。

 *前置き*
 Wikipediaには、これからお話しする「特殊カード」は「光」「闇」「鏡」「錠」の4枚だけであるという風に書かれて居ます。「だけ」のソースは分からないのですが、確かに「鏡」と「錠」はアニメ中に『特殊カード』だという言及がありました。Wikiの文脈としては、漫画だと「人語を話す」ところ、アニメだと「他のカードの働きかけで封印できない」ところにポイントがあるらしいです。ただ、『特殊』カードが全部でどれだけあり、どのカードが該当するのかという事は、私の知る限りでは言及されていません。私自身Wikiの記述に些か納得できないところもあり、今回の考察を立ててみました。もしかしたらきちんと大川さんの設定の記述が何処かにがあり、私が知らないだけかもしれないので、もし「それってここに載ってたよ」みたいなのがあったら教えてくださいませ。
 Wikiは複数人が編集にあたっているせいで首尾一貫してない記述が多く、何処まで信じて良いものか困ります…恐らく「水」は月属性のカードでは無いだろうという事も書き添えておきます(Wikiの「水」の項にはそう書いてあるのですが)。まぁ詳しくは後述。

 *カードの分類*
 「鏡」のカードの話(アニメ25話、漫画三巻)で「呪縛カードも攻撃カードも効かないカードは特殊カードだ」という様な事をケロちゃんが言ってるんですね。で、「特殊カードは名前を呼ばれたら力を失って元の姿に戻る」という事も言ってます。ここから分かるのはまず、「カードは少なくとも『呪縛』『攻撃』『特殊』の三種類に大別される」事「『特殊』カードは姿を変える事が可能で、名前の把握が封印に繋がる」事の二つです。
 でもややこしいなぁと思うのは、その後の話にこのカードの分類は出て来ないんですよ(笑)『特殊』カードらしきものも、『光』のカードがそれらしいそぶりを見せるだけ(桜に自身の名前を問うシーンがある)。他に出てくる分類としては「四大元素」と「太陽と月の属性」で、「四大元素」は「火」「水」「風」「地」、「太陽属性」は分かっているものとしては「光」「火」「地」、「月属性」は「闇」「風」「樹」。この四大元素と属性に関してはまた後述するので置いておいて、前述の三つの分類について考えたいと思います。
 『呪縛』カードの代表格は「風」です。一方『攻撃』は「水」。『特殊』は「鏡」以外良く分かっていません。
 まず『呪縛』と『攻撃』の線引きは何処かというのを考えたいと思います。対概念に沿って言うなら、恐らく「火」も「水」と同じく『攻撃』カードでしょう(「火」と「水」は互角であるというケロちゃんの発言より)。ここで思うのは、それぞれのカードが封印される前にどの様な事をして捕まったかという事です。この設定はアニメの「樹」にも受け継がれています。アニメ準拠と言いつつも漫画を参考にしますが、漫画一巻でケロちゃんが「「風」は一番友好的なカードだし、もう一枚の「樹」もそうだ」と言っています。この二枚が同じ性質を持ち合わせている…と考えると、とりあえず仮定ですが「樹」も『呪縛』カードではないかと。
 『呪縛』『攻撃』の言葉の意味を取った場合、封印前に積極的に悪さをし、干渉してくるのは後者だと言えそうです。『水』も『火』も非常に危ない事をしでかしたカードでした。一方『呪縛』カードの「風」は(漫画ですと)自ら本の中に戻ってくれたとあります。
 以上からぼんやりとですが、まず一つ目の考えをまとめると、『呪縛』カードと『攻撃』カードの違いは、『呪縛』は封印前には「不思議な現象」とした立ち現われてくるカードであり、『攻撃』は「物理的な恐怖現象」として立ち現われるカードでは無いかと思います。また、その論理を援用するならば、桜がカードとして使う際、『呪縛』カードは牽制に、『攻撃』カードは文字通り攻撃に使えるのでは無いかと思います。
 次に『特殊』カードについて考えたいと思います。封印シーンも、(劇場版やさくらカード編含め)使用シーンも一度も登場しないカードに「秤」がある為、これを一度考察対象から除きます(一応能力としては「嘘をついているかを見破れる」というものらしいです)。それ以外の51枚から、『呪縛』でも『攻撃』でも無さそうなカードを考えてみたいと思います。
 先ほど少し書きましたが、まず「光」のカードはケロちゃんの指摘した『特殊』カードの性格を(「鏡」の次に)しっかり具えていると考えて良いと思います。単に物理的に追い詰めるのではなく、頭を使わなくては封印できないというのが、「光」と「鏡」の共通点です。
 Wikiを参考にするのは癪ですが、仮に「光」「闇」「鏡」「錠」が『特殊』カードだとすると、その明確な共通点は何かという問題が表れます。一応はっきりしているのは、「カードの主候補者に試練を与える事」では無いかと思います。つまり「名前を当てろと言う」「開錠を求める」等ですね。ですが「他のカードを使った解決が出来ない」という条件をこれに付け加えた場合、『特殊カード』にもう一枚、乃至二枚追加しなくてはならないカードがあります。それは「迷」と「消」です。
 「迷」は「翔」や「剣」を無効化しました(月峰神社の鈴はクロウ直々の物ですから、勿論合法チートと考えて良いと思います(笑))。「消」の場合、正確には、「他のカードを使わない方が良いと小狼が判断した」に過ぎませんが、明確に桜だけに「試練を与え」ています。
 また、物語の中で封印に観月先生が一役買っているカードという共通点も見逃せないと思います。話の進行上、ターニングポイントとなる物語に絡んでくるカードでもあります(「消」は漫画だと小狼が桜を意識し始めるきっかけ)。
 という訳で私の一応の結論としては、『特殊』カードは「光」「闇」「鏡」「錠」「迷」「消」の六枚かな?という事で。


 *四大元素と太陽属性月属性*
 前述の三つの分類を前提として考えたいと思います。まず、最初に書いたのですがWikiの「水」の欄に「月の属性」という記載があります。そういう言及は作中に無いので、恐らくこれは「という設定に違いない」的な文だろうと思うのですが。
 ではどうして「水」が「月属性」扱いを受けるのか。それは四大元素の内「火」と「地」が「太陽属性」の為、残り二つは「月属性」だろうという想像故だと思われます。最高位の二枚、「光」「闇」が一枚ずつ「太陽」と「月」に割り振られているのだから、四大元素もまた然りと思ったのでしょう。これまた尤もなのですが。
 けれど私は敢えてこれを否定したいと思います。というのも、月は「「風」と「樹」は共に自分の属性のカードだ」と言っています。この「樹」の位置づけはどう考えたら良いのでしょう。どう考えてもカードの全てが「太陽」「月」に割り振れる訳では無いと思います。恐らく「太陽」と「月」にそれぞれ同枚数だけ、属性のあるカードが割り振られているのだろうと思います。
 ここで考えたいのは、『果たして「太陽」属性と「月」属性は互角なのか?』という事。「互角である」と考えるなら、バランス配分から言っても明らかに「水」は「月属性」であると考えねばなりません。けれどそうだとしたら、「樹」と互角の別のカードが一枚、「太陽属性」でないとおかしい。勿論そう考えても齟齬が生まれる訳ではありませんが、私は『「太陽」属性と「月」属性は力関係で言えば互角ではない(恐らく「太陽」の方が強い)』と考えます。
 先程の三つの分類を思い出してください。「風」と「樹」はどちらも『呪縛』カードです。また、『火』は攻撃カード。『地』も封印前の迷惑ぶりを考えると『攻撃』カードと考える方が自然だと思います。また、「ケロちゃんは食べ物を自分で摂取し魔力を生産できるが、月は主の魔力を源にするだけで自分で生産出来ない」という違いを押さえておく必要があると思います。
 つまり『呪縛』と『攻撃』で言うなら『攻撃』のカードの方が積極性が高い。桜も最後の審判で「月を傷つけないカード」を考え、「風」と「樹」を選ぶ訳で、『呪縛』は牽制のカードなのですね。それに魔力生産の事を重ね合わせると、『(「光」と「闇」という特殊カードを均等に司った上で)「太陽属性」は積極的な力を持つカードを司り、「月属性」は相殺や牽制の力を持つカードを司る』というのが本来の考え方なのではないかと思います。「闇」のカードが「光」に終始追従しているのも、この関係を表している様な気がします。


 *小狼のものとなったカード*
 折角カードの分類について考えたので、アニメの物語進行によってカードを分類してみたいと思います。といっても大した話では無くて、単に「小狼が手にしたカードには何かしらの関連性や意味が無いだろうか」という事を考えてみようと思います。
 まず彼のものとなったカードは、「時」「戻」「砂」「夢」「双」「嵐」「凍」の七枚。「雲」も彼のものになりましたが桜に譲ってます。一応譲渡が行われたカードに関しては、「カードは所有者を選び、それに従う」のだから、「譲渡したい」と思う「所有者」に「従う」のだろうと考えます。そう考えないと「迷」は観月先生のカード(笑)
 これを見れば一目瞭然なのですが、小狼は「時間を操るカード」の所有者であると言えます。「時」「戻」は言わずもがな、魔力のある者に予知夢や過去夢を見せる「夢」もその一つだと考えて良いと思います。
 桜が時間を超えて出会う人の筆頭はクロウです。クロウに関する過去夢を彼女は何回も見ています。それを見せてくれるのが(さくらカード編の)「戻」のカードであり、(普段の)夢ででもあるのです。
 小狼はクロウの母方の一族である李家の少年で、非常に古い一族の歴史を背負ってる…という設定だと思います。
 一方桜は(勿論これが最大の伏線でもあったのですが)、出自不明の父を持っています。比べてみると、桜に無いもので小狼が持っているものがあるのだとしたら、それは「過去との明確なつながり」ではないでしょうか。
 小狼のカードが彼自身の能力でもある、という見方が許されるなら、彼は桜に無い過去との繋がりを提示する役割が(物語進行の上で)あった…と言えそうです。
 また最終的に二人が惹かれあうのは、桜の持つ「新しいカードの主である」という未来へのベクトルと、小狼の持つ「古い一族の生まれである」という過去へのベクトルが一つにまとまる、という事も意味しているのかな、と思いました。
 


 もうここまで来ると単なる感想文なのですが…。さくらは考えても考えても、まだまだ楽しい事が増すばかりの素晴らしい作品だと思います。基本的にほしなみは原作至上主義ですが、さくらのアニメは大川さんが多くの脚本を手掛けている事等もあり、漫画を上回る出来なのではないかなと思います(最初と最後がちと不満ですが)。
 映画の考察等もいつかしたいのですが、それはまたいつか。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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