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雑感等
- 2013.08.16 Friday
- CLAMP作品
- 10:30
- comments(2)
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- -
- by ほしなみ
遅くなってしまいましたが、コメントありがとうございます。該当記事のコメント欄で返信を致しました。気付くのが遅くなって申し訳ありません。
日本の自殺の思想的背景、というテーマでレポートを書いて居るのですが、こうして日本史を俯瞰してみますと、現代の、自殺を悪しきものと考える風潮にやや疑念が湧きますね。
もちろん自殺を肯定したいなんて意味ではないのですが(物語内ではじゃんじゃん肯定したい所存ではある)、自殺を否定したからといって軽んじて良い訳では無いだろうな……と思うので。
こんな事で死んでしまって、的な反応って一体何者なんだろうというか、自殺者本人にとってはそれだけの大きな事だったんだよその出来事は!という個体としての真実はまるっきり淘汰されてしまうんだと思うと、何やらとても悲しい。
嗚呼何書きたいんだか分からなくなって参りました……。
物語内自殺って実際は余りお目に掛かりませんね、スメルジャコフ位なものかしら。CLAMP作品とかを考えても迦羅位しか思い当たらない。あ、乾闥婆王や孔雀も居ますか。そういう意味で聖伝ってやっぱり異色というか、CLAMPの方向性がまだ定まってない感じの作品ですね。エメロード姫とかもカウントして良いのかしら……。
聖伝を通読したんです久しぶりに。聖伝は見事な作品ではあるんですが、矢張りデビュー作だなというか、作者の成長著しすぎて最初と最後とではテンションも違えば綿密さも違って居て、つまり夜叉王が阿修羅を目覚めさせた場面とか、よくよく考えると「いや夜叉王短慮すぎ」って突っ込みたいんですよ申し訳ないけど。後出し設定も多いですし(夜叉王が阿修羅王と面識あったりとか)。だけど、それを後半のダイナミックなシーンやセリフの説得力や、絵の美しさがカバーして居て。
あーもう何を言いたいんだっけ。そうだ、聖伝と、例えばHolicを比べると、CLAMPは随分道徳的なものを描くようになったなあという話です。
先程もちょろりと書きましたが、聖伝ってまず犠牲者人数凄い多い。勿論それは阿修羅の設定上わざとそうしたという部分もありますが。それから自殺者も多い。これは以後のCLAMP作品で余り見かけない設定ですよね。エメロード姫や牙暁、或いは昴流とか星史郎とか……兎に角「死にたい」という思いや「自殺」という行為は、半ば切り札的なものとなって居る気がします。でも聖伝ではばんばん死ぬんだな。
聖伝では、夜叉王と阿修羅が二人でずっと一緒に生きる、という或る意味で後のCLAMP作品用語で言う処の「願い」を叶える為だけに、また或いは「運命」を変える為に、あれ程の犠牲が必要だったんですよ。でもHolicでは、人は死なない(侑子さん以外)。誰も不幸にはならない。誰かの命や幸せを踏み台にして、願いを叶えたりしない。極めつけは、「『誰か』の為に傷ついても良いと思う事は、最終的にはその『誰か』をとても傷つける事になる」という考え方が提示される。この考え方は聖伝には無いですよね。ていうかXでこれが出て来るのか、私は凄い楽しみなんですけれども。
神威は、封真を傷つける事になっても封真を取り戻す、って言ってるんですよ。そして昴流は、誰もが幸せになる道なんて無いんだ、と言って居て。誰かを傷つければ何かが解決する、という段階に、二人はまだ居る。でも四月一日は其処を通過しちゃって、ただ待ち続けてる。
四月一日が待つ理由は、多分、「待って居れば侑子さんが帰って来るから」ではないんです。帰って来ないのだけれど待って居るのだろうと思う。というか、本当に帰って来るかどうかは正直どうでも良くて、「いつか侑子さんは帰って来るから」と信じ続ける事に意味があるのだろうと。其処で、死なないでほしいと時間を止めたり、世界の構造を変えようとしたクロウや飛王は、或る意味で「信じ」られなかった人達なんだと思います四月一日にとって。
夜叉王も全く同じで、阿修羅はいつか目覚めるから、その時まで待ち続ける事を選びます。けれど孔雀は阿修羅を目覚めさせる為に死ぬ。そしてその事は、阿修羅を非常に悲しませる。けれど聖伝内世界では、これをもって良しとするというか、尊い犠牲だよね、という考え方をする。夜叉王の愛情の深さは評価されるけれど、行動した孔雀も評価される、という感じでしょうか。でもこれがHolicへ行くと、行動すると叩かれるんですよね。この違いが面白いなあと。
大切な人を待つというシーンが描かれるCLAMP作品は多くて、Holicの他にもレイアースやさくら、ちょびっツ、Wish、こばと、偏見を含めて良いならXでの昴流と星史郎は互いに互いを待ってますね。まあ多分他にももっとありますが……。
CLAMP作品世界では、この時会いに行くのではなく、只管待つ、相手を信じ続けるというのがベストな選択肢なんですよね。それが凄く興味深い。推測ですが、CLOVERの和彦も若干そういう処がある様な気がします。織葉の事をずっと待って居るというか。そういう意味で、彼とスウは似た者同士というか、「同じ人」の部分があると言える。こばとの藤本といおりょぎさんもそうだなあと。
あああGATE7も待つ話でした。はなちゃんは誰かが来るのを待ってるんですよね。あ−気になる。
CLAMP作品は「テーマ」という同じ地下水脈で繋がっているものが殆どです。例えばそれは「好き」や「願い」、「運命」であるのですが、同時に「待つ」物語でもある場合が多いと思う。全く該当しない話は思い浮かびません。あ、BABYLONか(笑)けれどその「待つ」というのは、他三つのテーマと違って、評価が変化して居るなあと。聖伝では余り評価されないんですよ(笑)夜叉王の愛情の程を示すだけの行為であって、物語を動かす行為ではないんですね。それは孔雀のキャラの作り方が余りに阿修羅に偏って居るからかな、とも思いますが。
考えずにつらつら最近思った事を書いてみましたが、特に結論は御座いません。ブログって本来そういう風に使うもんだもんね、多分。
日本の自殺の思想的背景、というテーマでレポートを書いて居るのですが、こうして日本史を俯瞰してみますと、現代の、自殺を悪しきものと考える風潮にやや疑念が湧きますね。
もちろん自殺を肯定したいなんて意味ではないのですが(物語内ではじゃんじゃん肯定したい所存ではある)、自殺を否定したからといって軽んじて良い訳では無いだろうな……と思うので。
こんな事で死んでしまって、的な反応って一体何者なんだろうというか、自殺者本人にとってはそれだけの大きな事だったんだよその出来事は!という個体としての真実はまるっきり淘汰されてしまうんだと思うと、何やらとても悲しい。
嗚呼何書きたいんだか分からなくなって参りました……。
物語内自殺って実際は余りお目に掛かりませんね、スメルジャコフ位なものかしら。CLAMP作品とかを考えても迦羅位しか思い当たらない。あ、乾闥婆王や孔雀も居ますか。そういう意味で聖伝ってやっぱり異色というか、CLAMPの方向性がまだ定まってない感じの作品ですね。エメロード姫とかもカウントして良いのかしら……。
聖伝を通読したんです久しぶりに。聖伝は見事な作品ではあるんですが、矢張りデビュー作だなというか、作者の成長著しすぎて最初と最後とではテンションも違えば綿密さも違って居て、つまり夜叉王が阿修羅を目覚めさせた場面とか、よくよく考えると「いや夜叉王短慮すぎ」って突っ込みたいんですよ申し訳ないけど。後出し設定も多いですし(夜叉王が阿修羅王と面識あったりとか)。だけど、それを後半のダイナミックなシーンやセリフの説得力や、絵の美しさがカバーして居て。
あーもう何を言いたいんだっけ。そうだ、聖伝と、例えばHolicを比べると、CLAMPは随分道徳的なものを描くようになったなあという話です。
先程もちょろりと書きましたが、聖伝ってまず犠牲者人数凄い多い。勿論それは阿修羅の設定上わざとそうしたという部分もありますが。それから自殺者も多い。これは以後のCLAMP作品で余り見かけない設定ですよね。エメロード姫や牙暁、或いは昴流とか星史郎とか……兎に角「死にたい」という思いや「自殺」という行為は、半ば切り札的なものとなって居る気がします。でも聖伝ではばんばん死ぬんだな。
聖伝では、夜叉王と阿修羅が二人でずっと一緒に生きる、という或る意味で後のCLAMP作品用語で言う処の「願い」を叶える為だけに、また或いは「運命」を変える為に、あれ程の犠牲が必要だったんですよ。でもHolicでは、人は死なない(侑子さん以外)。誰も不幸にはならない。誰かの命や幸せを踏み台にして、願いを叶えたりしない。極めつけは、「『誰か』の為に傷ついても良いと思う事は、最終的にはその『誰か』をとても傷つける事になる」という考え方が提示される。この考え方は聖伝には無いですよね。ていうかXでこれが出て来るのか、私は凄い楽しみなんですけれども。
神威は、封真を傷つける事になっても封真を取り戻す、って言ってるんですよ。そして昴流は、誰もが幸せになる道なんて無いんだ、と言って居て。誰かを傷つければ何かが解決する、という段階に、二人はまだ居る。でも四月一日は其処を通過しちゃって、ただ待ち続けてる。
四月一日が待つ理由は、多分、「待って居れば侑子さんが帰って来るから」ではないんです。帰って来ないのだけれど待って居るのだろうと思う。というか、本当に帰って来るかどうかは正直どうでも良くて、「いつか侑子さんは帰って来るから」と信じ続ける事に意味があるのだろうと。其処で、死なないでほしいと時間を止めたり、世界の構造を変えようとしたクロウや飛王は、或る意味で「信じ」られなかった人達なんだと思います四月一日にとって。
夜叉王も全く同じで、阿修羅はいつか目覚めるから、その時まで待ち続ける事を選びます。けれど孔雀は阿修羅を目覚めさせる為に死ぬ。そしてその事は、阿修羅を非常に悲しませる。けれど聖伝内世界では、これをもって良しとするというか、尊い犠牲だよね、という考え方をする。夜叉王の愛情の深さは評価されるけれど、行動した孔雀も評価される、という感じでしょうか。でもこれがHolicへ行くと、行動すると叩かれるんですよね。この違いが面白いなあと。
大切な人を待つというシーンが描かれるCLAMP作品は多くて、Holicの他にもレイアースやさくら、ちょびっツ、Wish、こばと、偏見を含めて良いならXでの昴流と星史郎は互いに互いを待ってますね。まあ多分他にももっとありますが……。
CLAMP作品世界では、この時会いに行くのではなく、只管待つ、相手を信じ続けるというのがベストな選択肢なんですよね。それが凄く興味深い。推測ですが、CLOVERの和彦も若干そういう処がある様な気がします。織葉の事をずっと待って居るというか。そういう意味で、彼とスウは似た者同士というか、「同じ人」の部分があると言える。こばとの藤本といおりょぎさんもそうだなあと。
あああGATE7も待つ話でした。はなちゃんは誰かが来るのを待ってるんですよね。あ−気になる。
CLAMP作品は「テーマ」という同じ地下水脈で繋がっているものが殆どです。例えばそれは「好き」や「願い」、「運命」であるのですが、同時に「待つ」物語でもある場合が多いと思う。全く該当しない話は思い浮かびません。あ、BABYLONか(笑)けれどその「待つ」というのは、他三つのテーマと違って、評価が変化して居るなあと。聖伝では余り評価されないんですよ(笑)夜叉王の愛情の程を示すだけの行為であって、物語を動かす行為ではないんですね。それは孔雀のキャラの作り方が余りに阿修羅に偏って居るからかな、とも思いますが。
考えずにつらつら最近思った事を書いてみましたが、特に結論は御座いません。ブログって本来そういう風に使うもんだもんね、多分。
- コメント
- お返事ありがとうございました。
再びですみません、かなです。
やっぱりほしなみさんの考察は読んでいて本当に面白いです!!
誰かのために傷つくことは、最終的にその誰かを傷つけることになる
そんなの思いつきませんでした!
いや~尚更Xの続きが待ち遠しくなって来ちゃいましたよ、、、、
そういえば、全く話は変わるのですが。X12巻(昴流が失明する)を読み返してて気づいたのですが、昴流が入院した病院と、バビロンで星ちゃんが入院した病院は同じなんですね!!!
昴流は池袋で負傷したはずなのになぜ新宿www
とかそういうのはなしにして、流石クランプ先生ですね(^^)芸が細かいです。
またまた長くなってしまいました。
ほしなみさんの考察、楽しみにしております。では。 -
- かな
- 2013/08/21 12:39 AM
- かなさん、またもやコメントありがとうございます。本当にXの続き待ち遠しいですね。というかもうそろそろ待てないですよね(と言い続けてそろそろ十年……)
昴流と星ちゃんの入院する病院一緒なんですかwwww知らなかったwwww流石CLAMP先生ですね全く……でもそれがマジな?話だったら、昴流の入院最中の複雑さはもうMAXですよね。ああ昴流……
嬉しいお言葉ありがとうございます。まったりじっくり考えていきたいと思います^^ 新刊出ると良いですねー。
それでは。 -
- ほしなみ
- 2013/08/25 12:33 AM
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